元信者体験記 わたしは見た!オウム真理教裏ワークの真相  更新2003/11/04 

元信者 H

1995年6月、私はオウム真理教を脱会した。それは偽装ではなく、心の底から「ここにいてはならない」と痛感したからだ。富士、上九一色での6年に及ぶ出家生活の中で、私はオウム真理教に少なからず疑問を持っていた。私はそこで何を見たのか?何を思っていたのか?人に伝えることはとても難しいと思うのだが、テレビ取材の際に描いたオウムのエピソードの絵を元に当時の事を語りたいと思う。


1988年 

自宅にて 神秘体験

1988年、私は何気なく本屋で手にしたオウム関連の書籍に心を奪われた。書籍にある修行プログラムを初めて3ヶ月後、自宅で衝撃的なクンダリニーの覚醒を体験する。本に書かれている通りの神秘体験だった。まず尾てい骨の先端が振動する。そして尾てい骨の先端から熱い流動体が螺旋状に突き上げていく。クンダリニーの熱い流動体は私の背骨を駆け上がり大脳の中を暴れ回った。この体験により一気に解脱や悟りに興味が湧き、オウム入信を決意した。

 

東京世田谷道場 セミナー風景

道場では修行により解脱したとされる「大師」と呼ばれる人たちが、信徒の様々な相談に対応していた。毎回行われるセミナーではヨガの呼吸法等が伝授され指導された。オウムでは教団の教義として仏教や密教が掲げられこれを真理とした。そこに集う人たちは、カルマの法則、功徳のメカニズムを信じ、人類の救済を提唱する麻原氏を絶対的存在として崇めた。私もその中の一人であった。

 

某マンション 麻原氏との対話

道場に通いだしてからまもなく麻原氏と面談をする。信徒は1回3万円で麻原氏との個人面談を受けれる。私は今までの人生においての不運を話すと、麻原氏は「君は完全に大魔境だ。しっかり功徳を積んで乗り越えなさい」と語った。熱いものがこみ上げていった。オウムでは人の幸せや不幸はすべて過去のカルマに蓄積された結果であるとされ、功徳を積むことを提唱されている。チラシ折りや、知り合いを勧誘したりと、オウムの布教活動は多大な功徳が積めるとされていた。私は功徳を積んで、今までのふさぎがちな生き方を変えられると夢見た。

 

1989年 

富士山総本部道場 狂気の集中修行

1989年1月、私はミラレパ大師の進めで「狂気の集中修行」というセミナーに参加する。これは年に1回催されるオウムの一大イベントで在家信徒200名以上が参加した。修行プログラムは1日14時間を超える全10日間のセミナーで、毎年何人かの脱落者が出るほどのハードな内容である。立位礼拝という修行では五体を投地し大声で「グルとシヴァ神に帰依し奉ります!」と唱える。程良い広さを持つ道場は信徒らの声が大きく鳴り響いていた。私はこの年、悟り、解脱を目指し、尊師の提唱する「救済活動のお手伝い」をするために出家する。私が生まれてきた意味がこれなのだと確信していた。

 

富士オウム施設 ポアの間修行

出家して間もなく印刷班に配属となり、しばらくしてサマナ(出家修行者)に「ポアの間」修行が課せられた。それは畳一畳ほどの個室に入り外から鍵が掛けられ、テレビモニターから麻原氏の説法ビデオが24時間ずっと流される内容である。(内部からは電源が消せないようになっている)1週間は外に出られないのでオマルが用意され、食物は小窓から受け取る。睡眠中も説法を聞くのは潜在意識ににデータが入り修行が進みやすいという、その効果を生かす修行であるようだ。

 

富士オウム施設 ポアの間修行

1週間後、「ポアの間」から出される。印刷所の立ち上げで、同じグループに科学班の故村井氏もいた。長い間ずっと暗い部屋にいたため外の光がやたら眩しく感じる。そしてワークの日々に戻っていく。サマナには休息はなく、自由時間もなく、恋愛やオウム食以外の食べ物も許されない。それらが戒律とされていて、それを破る者は罰則すら行われた。ひたすらグルを仰ぎ、功徳を積むために全力でワークに励むことが最短の解脱への道である。私たちサマナは、自らが悟ることで人類の救済となると信じていた。麻原氏が提唱する3万人のブッダの一人となり、ハルマゲドンを回避させる使命感を持って。

 

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