1990年 

富士山総本部道場 ビニール囲いのシェルター

オウムの救済活動とは、全人類を真理に結びつけ高い世界に転生させる事である。1990年2月、尊師はより救済活動を進めるために、真理党を立ち上げ衆議院選に立候補した。しかし選挙活動の甲斐も無くあっけなく惨敗した。そしてこの年、尊師は説法でオースチン彗星接近による大災害を予言し、突然サマナと信徒を石垣島へ大移動させた。日本の都市部での大災害を逃れての事と思ったが、石垣島へ着いたかと思うとすぐさま元の場所へ帰る指示があった。サマナや信徒らも狐に摘まれたような思いの扱いのされ方だった。帰ると富士道場等の内部をビニール貼りのシェルター化の作業が待っていた。だが予言された期日に災害等は何も起こらず、尊師の予言がはずれたのだと思った。その後、しばらく東京には行くなという内部通達。科学班の秘密ワークって言葉がサマナの間で囁かれた。私は他のサマナ同様、首を傾げていた。

 

富士山総本部道場 実験室

富士道場のシェルター造りと並行して、1階の食堂が化学班の実験室に改装されていた。ドアは道場2階のシェルター同様に潜水艦のハッチの二重扉となっており、白衣をきた化学班のサマナが出入りしている。それは救済にとって重要なワークであると他のサマナから伝え聞いた。救済活動が化学とは無縁と思えたので、また私は首を傾げた。

 

上九一色村 謎のプレハブ

この年からオウムは上九一色村に施設をかまえるようになる。そこは富士総本部道場から1時間くらいの距離にある。ある日、科学班のプレハブに某師が東京で買った部品を届けに行く。マンジュシュリー大師(故村井氏)に届けるのだそうだ。戻ってきた師はプレハブを見ながら呟いた。「尊師もすごいこと考えるよ。さすが最終解脱者だ。これで日本の歴史が変わるぞ」。その時は私にはその言葉の意味がさっぱり分からなかった。その言葉の意味が心に閃いたのはそれから3年後のことである。

 

1994年 

第2サティアン キリストのイニシエーション

1994年6月、サマナ全員に効果的なイニシエーションが執り行われる。その名は「キリストのイニシエーション」。サマナは何も内容を知らされずにイニシエーションの順番を待った。尊師から渡されるワイングラスに微妙に入れられた黄色い液体。苦みを伴ったパイナップルの味がする。飲み干すとすぐに一人一人個室に入れられた。

 

第2サティアン キリストのイニシエーション

そしてシールドルームと呼ばれる壁全面に鉄板を貼られた個室に入り、8時間の瞑想修行となる。しかし特に修行プログラムは言い渡されていないので、効果的なイニシエーションらしいが個室に入るだけかと少し呆気にとられていた。30分くらいたった時、めまいがしてきて徐々に体の力が抜けていった。めまいは治まるどころか、ろれつもまわらない状態になり慌てて担当者を呼んだ。

 

第2サティアン キリストのイニシエーション

意識がもうろうとする中、クリシュナ・ナンダ師(林郁男被告)がドア向こうにいたのが見えた。私は気分が悪いと話したのだが、特に心配することは無く、「これがイニシエーションの効果です。これから過去に行っていろいろ体験するから覚えて帰ってきなさい」と言うと、ゆっくりとドアを閉めてしまった。天井の明かりは消えたようだ。

 

第2サティアン キリストのイニシエーション

身体がぶよぶよに溶けていく感じがする。幾何学模様がたくさんうごめいている。様々な感情の波が押し寄せる。まるで果てしない心の旅をしているようだ。自分の身体が宇宙大に膨れ上がるような感覚。私はいろんな人格になって、暴れ出したり、大声で笑ったり・・。途中で取り押さえられたらしく縄で手足を縛られているのに気づく。ドアにタックルして外に出ようとして、担当の女性サマナが来て注意された。個室に入って8時間くらいたっていた。その後、同じイニシエーションを受けたサマナの一人があれはLSDではないかと話していた。しかも相当量のらしい。神秘体験なら私もいくらかはあるのだが、今回のはそういう類のものでは無いという気分だ。内側では無く、外から遺物が入ってきたような・・。薬と思っても不思議では無かったが、そばにいたサマナが薬だなんて思うのは尊師への冒涜だといい這っていた。

 

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