忘れ得ぬ歌々
太田浩之
今年、当センターは設立二十周年を迎えました。それは同時に、この短歌クラブの創設二十周年をも意味します。かわらず熱心な指導をしていただいている大河原惇行先生はじめ、多くのボランティアの力に支えられた二十年でした。その間、その多くが人生中途にして視力障害というハンディを負うことになった理療教育課程の入所生の歌が、今年第二十号を数えるこの「いぶき」に収められてきました。
私が短歌クラブに顧問として関わったのは、そのうちの数年間のみですが、その期間を振り返ってみて、こころに浮かぶ歌をいくつか紹介したいと思います。
アイメイトよ今日はここらで帰ろうな充分散歩できる日近い
茂(いぶき第十三号所収、平成四年)
アイメイトとは、盲導犬のことです。鍼灸マッサージの治療院を営む初老の作者は、自分の目になってくれる盲導犬をとても愛し、毎朝、この盲導犬と散歩することを生き甲斐としていたことが他の歌からも伺われます。この歌は、作者が病気で一時体調をくずして入院し、その後回復に向かった頃に、アイメイトとの久しぶりの散歩を詠んだものです。充分に散歩する日が近いことを予感しながら、朝の陽を浴び道を行く盲導犬を愛する作者と嬉しそうに尾を振りながらゆく盲導犬の姿が目の前に浮かんできます。
そして、この歌を残して程なく、作者は他界されました。
夢去りてまた新しき夢ひとつ生まれ来たりてわれ生きており
規子(いぶき第十六号所収、平成七年)
大学を卒業後、事務の仕事をしていた二十歳代の彼女は、目の悪いことをひた隠しにして、傷つきながらも生活してきたようです。その頃を彼女は卒業式の答辞で「自分は鳥でもないのに空を飛ぼうとしていた。魚でもないのに海を泳ごうとしていた。」と回顧しています。このセンターに学び、目を病める友らとの出逢いから、鳥の声、植え込みの透き通るような若葉、虫の音を含め、自分の周りの存在すべてに感謝の気持ちが生まれたという彼女が在所生に送った、こんな祈りの言葉があります。「かえられないものを受け入れる勇気を下さい。かえられるものをかえてゆく力を下さい。そして、かえられるものとかえられないものを見極める賢さを下さい。」短歌とともにこの祈りの言葉もまた、私にとって忘れられないものになりました。
どんなときでも、夢や希望をもって生活することの素晴らしさ、その歩みの力強さを示してくれる歌です。新しき夢をもって卒業していった彼女の幸せを祈ります。
もう一度生まれいづることあらばよき耳と目でまた学びたし
いく子(いぶき第十七号所収、平成八年)
当時、五十歳代の女性の歌です。全盲であるばかりか、聴力にも障害を持ち、体調によっては完全に聞こえない日もある、それを繰り返しながらの訓練生活を送った人の歌です。体調への不安、視覚の上に聴覚の喪失による孤独に怯える日々に、もう一度生まれるときには、よき耳と目でまた学んでみたいと願う余裕や意欲が彼女の歌に表れることに驚きを感じました。
以来、この歌を思い返すたび、このセンターでの彼女の生活が思い起こされます。彼女が毎日努力する姿だけでなく、その生命そのものを訴えかけるかのようです。
この歌と出逢ったことへの衝撃は、私に短歌の意義を教えてくれました。たったひとつの歌にも作者の生命が吹き込まれ、それが時空を超えて多くの人々の心に残ってゆくのものだということです。短歌とは、本来そうしたものであるはずです。
これからも障害をもつ名もない歌詠みの歌を紹介してゆくことがこの「いぶき」の使命であろうと思います。この二十周年を支えとして、部員とともに、思いを新たに進んでゆきたいものです。
平成十一年十月二十三日
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